酔いどれホーボーになるまえに
Page: 2/3  << >>
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | スポンサードリンク | | - | - |
    PARKING MAGAZINE:サトウムツオの映画紹介バックナンバー
    0
      Movie Review #18 『6才のボクが、大人になるまで。』

      Movie Review #17 『誰よりも狙われた男』
      Movie Review #16 『FRANK フランク』
      Movie Review #15 『クライマー/パタゴニアの彼方へ』
      Movie Review #14 『プロミスト・ランド』
      Movie Review #13 『her/世界でひとつの彼女』
      Movie Review #12 『ウィズネイルと僕』
      Movie Review #11 『インサイド・ルウェイン・デイヴィス/名もなき男の歌』
      Movie Review #10 『空中ランチ』
      Movie Review #9 ボンド・スーツ〜『北北西に進路を取れ』『007/ドクター・ノオ』『007/ロシアより愛をこめて』『007/ゴールドフィンガー』
      Movie Review #8 『アメリカン・ハッスル』
      Movie Review #7 『甘い生活』『8 1/2』
      Movie Review #6 『キャプテン・フィリップス』『ゼロ・グラビティ』
      Movie Review #5 『42〜世界を変えた男〜』
      Movie Review #4 『理由なき反抗』
      Movie Review #3 『メキシカン・スーツケース』
      Movie Review #2 『地獄の黙示録』
      | mou1234 | 18:36 | comments(0) | - |
      13.『バスキア』(1996年)×トム・ウェイツ「トム・トルバーツ・ブルース」
      0




        1996年のジュリアン・シュナーベル監督作品『バスキア』は、バスキア本人と親交があったアーティスト仲間のシュナーベルが監督したものだ。わずか27歳で亡くなったアーティスト、ジャン=ミッシェル・バスキア(ジェフリー・ライト)の伝記映画だ。バスキアとバンドを組んでいたヴォンセント・ギャロがカメオ出演したりと、いわくつきのキャスティングが施されている。

        この中で忘れられないのが、アーティストであるデヴィッド・ボウイ演じるアンディ・ウォーホルだ。銀髪のウィッグを付けて、時代の寵児アンディ・ウォーホルになり切っていた。実際のバスキアとウォーホルは1983年に出会い、共同制作をしたりしてお互いを刺激し合う存在になった。そして1987年、ウォーホルが死ぬと、バスキアは孤独を深め、徐々にヘロイン中毒になって妄想癖もひどくなる。そして1988年、ヘロインのオーヴァードーズにてわずか27歳で死去している。

        ウォーホルの死は、映画の後半のハイライトだ。バスキアは夕暮れのニューヨークの街をトボトボと歩いていて、画商のブルーノ(デニス・ホッパー)に呼び止められて、「ウォーホルが死んだ」ことを教えられる。それからしばらく、とても感傷的にモンタージュされる。そこで流れるのが、トム・ウェイツのバラード「トム・トルバーツ・ブルース」、原題はTom Traubert's Blues(Four Sheets to the Wind in Copenhagen)である。

        この曲は、全曲トム・ウェイツが作曲した、1876年9月に発表された3枚目のアルバム『スモール・チェンジ』に第1曲目に収録されたバラードで、唐沢寿明主演のフジテレビ開局50周年ドラマ『不毛地帯』のエンディングにも使われた。ロッド・スチュワートらにもカバーされている。表題にもあるトム・トルバーツは、トムの「友人の友人」で、獄中で死んでしまった人らしい。

        最大の特徴は、あのアルコールとタバコで声を潰してしまったかのようなあのダミ声だ。一度聴いただけで、トム・ウェイツの声だとわかる。壮大なストリングス・アレンジはジェリー・イェスターによるもので、トム・ウェイツのピアノの弾き語りが哀切きわまりない。

        歌詞のサビの部分には、オーストラリアの第2の国歌といわれるフォークソング「ワルチング・マチルダ」の一節が引用されている。その歌詞は、あてのない旅をする旅人が1頭の羊を泥棒し、警察に追い詰められた旅人は池に身を投げ自殺するという悲しいストーリー。「ワルチング・マチルダ」とは「ワルツを踊るマチルダという女性」ではなく、「当てもなく彷徨う放浪者が持ち歩くズタ袋」という意味らしい。歌詞を訳するのはとても難しく、理解するのは難しい。しかし、その歌詞に登場するのは、タクシー運転手、車椅子の老人、ストリッパー、酔っ払い、清掃人、夜間警備員、野良犬といった社会の底辺に生きる人たちであり、彼らにおやすみと暖かく声をかけるトム・ウェイツのやさしさに感動してしまう。そんな「酔いどれ詩人」らしい詞の内容なのである。

        映画の中のウォーホルの存在があまりにもデカすぎて、まさしく巨星墜ちるという感じだった。バスキアを照らす大きな月(けっして太陽ではなく、月である)がいなくなったという感じで、その落胆や空虚感をその音楽が表現していた。

        シュナーベルはかなり耳のいい監督で、『バスキア』に使われた音楽は、コンピュレーションアルバムとしてもよく出来た選曲だった。「トム・トルバーツ・ブルース」以外にも、ザ・ポーグス「サマー・イン・シャム」や、ジョン・ケイル「ハレルヤ」(曲はレナード・コーエン)などはいまもしょっちゅう聴いている。

        | mou1234 | 22:27 | comments(0) | - |
        12.『ミラル』(2010年)×A・R・ラフマーン「ムンバイ・テーマ・トゥーン」
        0



          『夜になるまえに』(2001年)や『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年)の2010年に撮ったジュリアン・シュナーベル監督作品『ミラル』は、イタリアで活躍するイスラエル出身の女性ジャーナリスト、ルーラ・ジブリールの自伝的小説(脚本も担当)を映画化したヒューマンドラマだ。ユダヤ人のシュナーベル監督は、私生活でも原作者のジブリールと国際結婚(3度目)した。

          イスラエル占領下のパレスチナを舞台に、私財を投げ打って、孤児たちのための学校を創設し生涯を教育に捧げたヒンドゥという女性の信念と、そこで学んだ美しい少女ミラルの数奇な運命を中心に、イスラエルに生きる4人のアラブ人女性の過酷な人生と微かな希望を力強いタッチで描き出す感動作だ。原作者ジブリールの半生は表題にもなったミラルの人生に投影されている。

          とにかく、ヒンドゥ・フセイン役の『シリアの花嫁』(2004年)『ミュンヘン』(20005年)『扉をたたく人』(2009年)のヒアム・アッバスと、ミラル役の『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)『猿の惑星・創世記(ジェネシス)』(2011年)のフリーダ・ピントの演技が圧巻だ。さらに、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2003年)『オン・ザ・ロード』(2012年)の撮影エリック・ゴーティエのキャメラが、イスラエル/パレスチナの戦争不可避な現実を見つめていて、感動が湧き上がる。

          この映画のテーマ曲として使われるのが、『スラムドッグ$ミリオネア』の音楽を担当したA・R・ラフマーンが作曲した『ムンバイ・テーマ・トゥーン』。3〜4機のジェット機で編隊を組んで、けたたましく鳴り響いては上空をつんざき、3〜4度ほど戦争が到来したことを告げる。


          「ムンバイ・テーマ・トゥーン」はラフマーンらしいストリングスが効いた壮大な交響詩で、実に映画『ミラル』にマッチしている。

          現代の中東の歴史は、日本人にとってなかなか理解できない。とくにイスラエルの歴史は、お手上げだ。1948年に建国されたイスラエルは、国連の決議によって勝手に地理上で線引きされた国家であり、その地にはすでに数多くのアラブ人(パレスチナ人)が住んでいたので、紛争が絶えないわけだ。

          映画は、イスラエルを国家として、PLO(パレスチナ解放機構)を自治政府として、相互に承認した1993年の「オスロ合意の締結」と、1994年の「ヒンドゥ・フセインの葬儀」でしめくくられる。しかしパレスチナの和平はいまだに成立していない。この物語を、ユダヤ人であるシュナーベル監督が中立的立場で描くことに深い意義がある。

          | mou1234 | 22:21 | comments(0) | - |
          11.『ディパーテッド』(2006年)×ローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」
          0


            2006年の『ディパーテッド』(原題 Depated)は、香港映画『インファナル・アフェア』(2002年)のリメイクである。リドリー・スコット監督作品『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)の脚本を手がけた、マサチューセッツ州ボストンに在住の脚本家ウィリアム・モナハンが脚色、「無冠の名監督」といわれていたマーティン・スコセッシ監督は、アカデミー監督賞を受賞した。外国語映画のリメイク作品として、史上初のアカデミー作品賞も受賞した。原題の「The Derarted」とは「分たれたもの」、転じて「身体から離れた死者の魂」を意味する。実はスコセッシ監督がオスカーを受賞した直後に、来日した彼をインタビュ―している。彼は開口一番、「こんなリメイク作品でオスカーを獲りたくはなかった」とその複雑な胸中を吐露してくれたのだ。

            マサチューセッツ州ボストン南部、通称「サウシー」が物語の舞台だ。警察はこの街の犯罪を撲滅しようと、最終戦争に突入しようとしていた。標的は、アイルランド系ギャング組織のボス、フランク・コステロ(ジャック・ニコルソン)で、その支配力を内部から崩そうと、新人警官のビリー・コスティガン(レオナルド・ディカプリオ)を組織に潜入させる。一方、コステロも、新人警官のコリン・サリヴァン(マット・デイモン)を送り込んでおり、警察の捜査は筒抜けになっていた。お互いの素性を隠して潜入生活を続けるビリーとコリンだったが、やがて警察もギャングも、内部に通報者がいることに気づき、その通報者を突き止めようとする。

            オープニングから「ギミー・シェルター」が流れる。このジャック・ニコルソン演じるフランク・コステロの登場のテーマのようにして流れるわけだ。彼は携帯電話の着信音(音が意外とデカい)も、古いアイルランドの愛国唱歌「The Minstrel Boy」だったりして、骨の髄までアイルランド系である。

            ローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」は、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの作曲した1969年のアルバム『レット・イット・ブリード』に収録された。女性歌手メリー・クライトンがバッキングヴォーカルとして参加している。キース・リチャーズのカッコいいリードギターのリフで始まるローリング・ストーンズらしい曲だ。

            マーティン・スコセッシ監督はよっぽど好きらしく、この曲はヘンリー主人公ヘンリー・ヒル(レイ・リオッタ)がコカイン中毒になるテーマ曲として『グッドフェローズ』(1990年)や、ニッキー(ジョー・ペシ)のテーマとして『カジノ』(1995年)でも使われている。

            なぜ、「ギミー・シェルター」を使うのか、スコセッシ監督に尋ねたことがある。
            「前に使ったことも忘れて、ついつい1969年のプレイリストから選んでしまうんだ」
            パーク・アヴェニューにあった前のオフィス、カッパ・プロダクションズ(今はシケリア・プロダクションズ)にしか行ったことがないが、マーティン・スコセッシ監督は本国アメリカでiPhone4のSiriのCMのイメージキャラクターにも登場するほどだ、しかし、iPhoneの操作は事務所の女の子に任せっきりなのだ。それで、楽曲の制作年代ごとにプレイリストに入れてもらっているのだが、1969年のプレイリストからローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」は選ばれるわけだ。

            『レイジング・ブル』(1980年)以降の劇映画の編集は『ウッドストック』(1970年)から断続的に一緒なセルマ・スクーンメイカー女史が編集をやっているが、『ボブ・ディラン/ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)、『ローリング・ストーンズ/シャイン・ア・ライト』(2008年)、『ジョージ・ハリソン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(2011年)といった音楽ドキュメンタリー映画の編集は、彼が「第3の演出」だと述べている編集作業を、すべてデヴィッド・テデスキがやっている。
            しかし、『シャイン・ア・ライト』では「ギミー・シェルター」が使われなかった。

            | mou1234 | 22:14 | comments(0) | - |
            10.『救命士』(1999年)×ヴァン・モリソン「T. B. シーツ」
            0


              1999年の『救命士』(原題 Bringing Out the Dead)は、ジョー・コネリーの原作小説を脚本家ポール・シュレイダーが脚色したもので、この映画のオープニングに使われた曲が、北アイルランドのロック歌手、ヴァン・モリソン「T. B. シーツ」だ。

              夜のニューヨーク。救命士のフランス・ピアース(ニコラス・ケイジ)は、何ヶ月もの間、緊急搬送する重篤患者を救えずにいた。そんな毎日が彼に重くのしかかり、彼は心身ともに喪失してしまう。そんなある夜、彼は、心肺停止から蘇生した父親を献身的に介護していたメアリー・パーク(パトリシア・アークエット)という女性と出会い、フランクは人生に希望を見い出すが、つらい現実は彼の前に立ちはだかる。

              ニコラス・ケイジとパトリシア・アークエットは、1995年から2001年まで夫婦だった。この映画撮影当時は、おしどり夫婦だと見られていた。

              「T. B. シーツ」は、ヴァン・モリソンの1967年のソロファーストアルバム『ブロウイン・ユア・マインド』に収められた9分の大作だ。ヴァン・モリソンはザ・バンドの解散コンサートを収めたドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』(1976年)にも出場しているロック歌手(シンガー・ソングライター)で、いわゆるマーティン・スコセッシ監督のお気に入りの歌手だ。高い音楽性と抜群の歌唱力で、多くのミュージシャンから尊敬を集める。また極度のマスコミ嫌いで、彼の飛行機嫌いで国外に出ることが非常に少ないことから、バーブラ・ストライザンドなどと並んで、「日本に来日したことがない大物歌手」のひとりといわれる。若いころは北アイルランドのベルファストに住み、1964年から1966年、「グロリア」などのヒット曲を飛ばしたロックバンド、ゼム(Them)の一員だったが、脱退。1967年拠点をニューヨークに移し、ソロに転向。バング・レコードと契約。この曲は、彼のニューヨーク・シティ時代の、A&Rレコーディングスタジオで1967年3月28日に録音されたものだ。どおりで、ニューヨークが似合うわけだ。
              2013年、彼はあの「ローリング・ストーン」誌が選ぶもっとも偉大なシンガーの第24位に選ばれている。1993年、ロックの殿堂入りを果たしている。

              「T. B. シーツ」はハモンドオルガンとハーモニカ(ブルースハープ)が織りなすブルースフィーリングあふれるブルー・アイド・ソウルの名曲で、ヴァン・モリソンをアメリカに誘ったバート・バーンズのプロデュースによる貴重な音源をもとに制作された。録音が終わったヴァン・モリソンは感情が高ぶって、泣き崩れたというエピソードが残っている。

              実は、ポール・シュレイダーが、ドストエフスキー『地下室の日記』とサルトル『嘔吐』をアレンジして主人公トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)の孤独をテーマに書いた『タクシードライバー』(1976年)の脚本を、マーティン・スコセッシ監督がリライトしていたとき、この曲をよく聴いていたらしい(『タクシードライバー』のDVDのコメンタリーにある)。まだ、バーナード・ハーマン(『タクシードライバー』が遺作になった)にスコア音楽の作曲を依頼する前の話だ。なるほど、『タクシードライバー』の夜のニューヨークの情景と実にマッチしていて、代わりに聴いてもテーマ曲の趣すらある。

              映画『救命士』はゾンビのような者がニューヨークの夜の街にあふれかえり、クライマックスを迎える。だが、それは、イタリア・ローマのシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロが描いた祭壇壁画『最後の審判』(フレスコ画)にて似て、ダンテ『神曲』地獄編のイメージを借りたものだ。

              | mou1234 | 22:09 | comments(0) | - |
              9.『花様年華』(2000年)×梅林茂「夢二のテーマ」
              0


                2000年のウォン・カーワァイ監督の『火様年華』(英題 In the Mood for Love)は、悲痛なラブストーリーである。主人公は、男がチャウ(トニー・レオン)で、と女がチャン夫人(マギー・チャン)。2人が好き合っているのに、叶わぬ恋は美しいとする香港映画だ。
                原題の「花様年華」は「花のような時間」という意味で、そこから転じて「満開の花のように成熟した女性が一番輝いているとき」を示している。
                確かにここでのマギー・チャンは、とてつのなく美しい。付け加えると、マギー・チャンの役柄から、同じカーワァイ監督作品の中で、『欲望の翼』(1990)の続編、『2046』(2004)の前編といわれている。

                1960年代の香港が舞台で、物語の発端は、家探しをしている男女が偶然隣り合わせの部屋を借りることになるというものだ。偶然にも、同じ日に引っ越ししたりして、荷物の取り違えが起きたりする。アパートの階段は男女がすれ違うには狭すぎ、2人は次第に昵懇(じっこん)になっていく。会社の秘書として働いているチャン夫人は、いつも商用でいない不在がちな日本人の夫がいて、新聞記者のチャウ氏は、帰宅が遅い会社勤めの妻がいる。このチャン夫人の夫とチャウ氏の妻は絶対に姿を見せない。あるとしても、声のみの出演なのだ。

                映画の前半、2人の「逢瀬のテーマ」として流れる音楽が、鈴木清順監督作品で、日本の梅林茂が作曲した『夢二』(1991)のテーマ曲「夢二のテーマ」である。
                もちろんのこと、沢田研二演じる竹久夢二と女性たちの逢瀬を綴っていく。鈴木清純監督作品らしく、夢か現かわからない世界が描かれている。本作の音楽は、完璧に内容にマッチしていて、『花様年華』の2人のテーマ曲として聞いても全然間違いじゃない。

                カーウァイ監督はよほど感性の鋭い人であるから、『夢二』を観たとき、直感で感じるものがあったに違いない。でなければ、すでに他の映画のテーマ曲として使われた梅林茂の音楽を、わざわざ自分が丹精込めた新作映画のテーマ曲に選ぶはずがない。

                この曲を聴くと、いくどとなく降る雨と、時を刻む大きな時計と、トニー・レオンの佐田啓二のような髪型と、彼のタバコの紫煙と、マギー・チャンが着る上海灘(シャンハイタンShanghai Tang)のチャイナドレスと、そのチャイナドレスのスリットから時折のぞく美脚と、そして料理が苦手な彼女がラーメンを買いに行ときな持参するペパーミントグリーンのジャー(ラーメンを入れる容器)しか思い出さない。キャメラ(撮影はクリスファー・ドイルとリー・ビンビン)は、回廊のような香港の街並を漂うだけだ。しかし、おもしろいことに2人の物語なのに、キャメラはまったく2人の部屋にも侵入しないのだ。
                大きな時計が映っても1960年代という時代設定しかわからない。この「夢二のテーマ」が完全に時を止めてしまったかのようだ。それだけに、2人の会話はかなり無意味だ。チャウ氏のセリフにこんなものがある。「次第に君への思いが募る。冷静なつもりが、君の夫が戻ると思うと、無性に腹立たしくなる」。それが返って、かなりエロティックに聴こえる。

                ところが第2部、映画の後半になると、調子は変わる。物語は、正確に時を刻み始めるかのようだ。
                流れる曲は、ナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス(Quizas, Quizas, Quizas)」や「緑の瞳(Aquellos Ojos Verdes)」や「月光の魔術(Te Quiero Dijiste)」といったラテン音楽の名曲の数々が流れる。時代錯誤的な音楽が、返って現実的な時間(世界)へと引き寄せるわけだ。

                本作はおもしろいくらいに、音楽が物語を物語る、稀有な例といえる。

                | mou1234 | 22:03 | comments(0) | - |
                8.『タイタンズを忘れない』(2000年)×マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」
                0


                  2000年のジェリー・ブラッカイマー製作、ボアズ・イェーキン監督の『タイタンズを忘れない』(原題 Remenber The Titans)は、公民権法施行後も人種差別が渦巻く1971年に、教育改革によりヴァージニア州に生まれた白人黒人混合の高校アメリカンフットボールチームの選手たちが、「肌の色が違う」というだけでいがみ合いながらもスポーツを通じて互いに理解し合い、周囲の人々を巻き込みながら、奇跡を起こしていく感動のドラマだ。実話に基づくドラマで、主人公の黒人コーチをデンゼル・ワシントンが演じている。

                  1970年代のヒットした流行歌が効果的に使用されていて、スティームの「ナ・ナ・ヘイ・ヘイ・キス・ヒム・グッドバイ(Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye)」などとともに、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」が流れてくる。これは、試合後のロッカールームのラジオから流れてきて、白人選手と黒人選手の心をひとつにする文字どおり、チームをまとめる音楽であった。若き日のライアン・ゴズリングなどの姿が見える。

                  この曲は、R&Bソウルの名曲で、「レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド」「エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング」「ユア・プレシャス・ラヴ」などのヒットで知られるニコラス・アシュフォー&ヴァレリー・シンプソンの夫妻による楽曲で、モータウン・レーベルのために書き下ろしたものだった。最大の特徴は、とても覚えやすいメロディと実生活に根づいた歌詞にあった。デュエットに適した彼らのラブソングは、その魅力を発揮する。おもに、ニック・アシュフォードが歌詞を担当した。

                  1967年4月に当時パートナーの関係にあったマーヴィン・ゲイ&タミー・テレル(1970年3月16日、脳腫瘍のためわずか24歳で夭折)の男女デュエットがリリースされて大ヒット。マーヴィンとタミーは慕い合っていたが、タミー・テレルの最後のアルバム『イージー(Easy)』では、歌えなくなったタミーに代わり、ヴァレリー・シンプソンが代わりに歌ったのは有名な話だ。そして70年にタミー・テレルの死後、シュープリームスのメインヴォーカルのダイアナ・ロスがカバーして、これまた大ヒットしている。その後、男女デュエットの定番ソングとしていろんなバージョンが生まれた。

                  「高くて登れない山なんてない/深くて恐ろしい谷も怖くない/広すぎる川だろうと渡れるんだ/君に届く距離にいるためなら何だってするよ、ベイビー」(訳詞:サトウムツオ)

                  つまり「人生にある山や谷や川があっても、怖くない」と歌う歌で、混沌とした1960年代にアメリカ国民全体へ勇気を与えた、最高にゴキゲンな歌だった。
                   
                  このマーヴィン・ゲイ/タミー・テレルバージョンの曲は映画との相性も良く、いろんな映画にも使われている。ビル・デューク監督の『天使にラブ・ソングを2』(1993年)のエンディング(これは、ダイアナ・ロス版とのミックスバージョンだった)ではウーピー・ゴールドバーグ、ローリン・ヒル、マイクル・ジェッターといった修道院の音楽クラスの聖歌隊の教師と生徒が歌うし、クリス・コロンバス監督の『グッドナイト・ムーン』(1998年)では劇中歌としてジュリア・ロバーツ、スーザン・サランドン、ジェナ・マローンらが流れるラジオの音やレコードの音に合わせて、継母と前妻と2人の子どもが口パクでハシャイでが歌うし、ロリ・ベティ監督の『早熟のアイオワ』(2008年)ではエンディングで姉妹役に扮したジェニファー・ローレンス、クロエ・グレース・モレッツがカーラジオから流れる曲に合わせて口パクで歌っているのだ。このように、この曲には家族やクラスやチームメイトを団結させてひとつにする不思議な力があるようだ。

                  マーベル・コミックが製作したディズニーのスーパーヒーロー映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)でも、主題歌のような使われ方をしている。主人公スターロード、ピーター・クイル(クリス・プラット)の母の形見のテープ(SONYの初代ウォークマンで聴けるテープだ)として、おかあさんの青春時代を代表する1970年代の楽曲として使われていた。

                  | mou1234 | 21:52 | comments(0) | - |
                  7.『勝手にしやがれ』(1959年)×モーツァルト「クラリネット協奏曲」
                  0


                    1959年のジャン=リュック・ゴダール監督の長編デビュー作『勝手にしやがれ』(原題À bout de souffle)は仏ヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品で、ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・シバーグが主演している。

                    フランスのマルセイユで自動車を盗んだミッシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は追ってきた警官を射殺する。パリにたどり着いた彼は、アメリカ人のガー ルフレンド、パトリシア(ジーン・シバーグ)と行動をともにする。ハンフリー・ボガートを気取って何かの映画のボガートの仕草を真似て、唇を親指でなぞる 仕草をするミッシェルは相当なボガートファンらしい。だが、パトリシアはミッシェルが警察に追われる身であることに気づいてしまう。やがて心変わりしたパ トリシアが警察に密告してしまう。警察の銃が火を吹く。ミシェルは背中を撃たれ、よろめきながら大通りにたどり着き、前のめりになって倒れる。「俺は最低 だ」とミシェル、「最低って何のこと?」とパトリシアがボガートの真似をして唇を親指でなぞり、そうつぶやいて終わる。

                    パリのシャンゼリゼ通りで『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の売り子をしていて、その新聞社の黄色いTシャツ(映画は白黒映画であり、白黒映画での発色がいいので黄色が使われた)を着て登場するジーン・シバーグが圧倒的に可愛い。髪はオットー・プレミンジャー監督の『悲しみよこんにちわ』(57年) から抜け出たようなベリーショート「セシルカット」で、大柄なストライプのワンピースを着たり、完全にファッションアイコンとなっている。

                    このジャン=ポ=ル・ベルモンドが演じるミシェル・ポワカールの生き様が刹那的でたまらなく好きだ。彼が愛した女のパトリシアは曖昧な欲望しか持てぬプチブルジョアで、実はつまらない女であった。ここが悲しい。彼女を愛したがゆえに彼は死ぬ運命にある。

                    ゴダールは1960年に、仏『ル・モンド』紙のインタビューに次のように答えている。
                    「私は、トリュフォーの主題から出発してアメリカ女とフランス男の話を物語ったわけです。ふたりの仲はうまくいかない。男のほうは死について考えているのに、女のほうは死なんか考えないからだ。私はこのアイデアを持ちこまない限り、映画がおもしろくなるわけがないと思った。青年の方はかなり前から死ぬことばかり考えている。死ぬことを予感している青年。そういう考え方から、青年が街頭で事故死を目撃するシーンを撮った。同じ理由で、レーニンの言葉、《われわれは賜暇中(官吏などが願い出て休暇を許可されること)の死者である》を引用し、モーツアルトが死の直前に書いた「クラリネット協奏曲」を使っています」

                    この映画で逃避行をしていた2人はアントニオ(アンリ=ジャック・ユエ)という友人の紹介で女の家に行き、そこを隠れ家とする。その隠れ家で、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「クラリネット協奏曲」をレコードでかけて、主人公ミシェルに「好きだ」とまでいわせているのだ。

                    「クラリネット協奏曲イ長調K.622」はケッヘルの番号が大きいことからも分かるように、死期の近いモーツァルト最晩年の、1771年に作曲されたクラリネットと管弦楽のための協奏曲だ。ケッヘルの比較的大きい「レクイエムニ短調K.626」や「歌劇『魔笛』K.620」と比較すると、そこに死の匂いをまとっていることが分かるはずだ。モーツァルトの「クラリネット五重奏曲イ長調K.581」と同様に、当時ウィーン管弦楽団のクラリネットとバセットホルン の名手だったアントン・シュタードラーのために作曲したもので、低音が出せるバセット・クラリネットのためにと作曲された。今の楽譜では、A管クラリネットによって演奏できるように、何者かが編曲したものだ。

                    『勝手にしやがれ』では、3楽章あるうち第2楽章などが使われていた。簡素で味わい深く、比類なく美しいメロディは、デンマークの作家イサク・ディネセン の小説『アフリカの日々』の映画化で、シドニー・ポラック監督、メリル・ストリープ&ロバート・レッドフォード共演のアカデミー賞7部門受賞作『愛と哀しみの果て』(85年)のアフリカの情景と実にマッチしていた。

                    | mou1234 | 21:46 | comments(0) | - |
                    6.『小説家を見つけたら』(2000年)×イズラエル・カマカヴィヴォオレ「虹の彼方へ」
                    0

                      2000年のガス・ヴァン・サント監督の『小説家を見つけたら』(原題Finding Forrester)は、ニューヨーク・ブロンクスを舞台に、J・D・サリンジャーのようにすっかり隠遁してしまった大作家ウィリアム・フォレスター (ショーン・コネリー)と、文学の才能を持つ16歳の黒人少年ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)の心の交流を描く快作である。

                      この映画のエンディングで、イズラエル・カマカヴィヴォオレの「サムウェア・オーヴァー・ザ・レインボウ」、ヴィクター・フレミング監督のミュージカル『オズの魔法使』(1939年)の主題歌「虹の彼方に」のウクレレによるハワイアン・バージョンがやさしく流れる。カマカヴィヴォオレ、愛称「イズ」は、 340kgを超える巨体から美しい歌声で魅了する、ハワイを代表する歌手で、惜しくも1997年7月に肥満が原因で38歳という若さで亡くなっている。

                      「サムウェア・オーヴァー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)/ホワット・ア・ワンダーフル・ワールド(この素晴らしき世界)」のメドレーが収録されたアルバム 『フェーシング・フューチャー(Facing Future)』は1993年にリリースされ、世界的に大ヒット。「サムウェア・オーヴァー・ザ・レインボウ」は、多くの映画やテレビ番組に使用されている。  マーティン・ブレスト監督のブラッド・ピット&クレア・フォーラニ共演のロマンティック・ファンタジー『ジョー・ブラックをよろしく』 (1998年)、ピーター・シーガル監督のアダム・サンドラー&ドリュー・バリモア共演のロマンティック・コメディ『50回目のファースト・キス』(2004年) などのエンディングに使われている。このほか、米NBCのテレビドラマ『ER緊急救命室』の第172話「再発」(2002年)において、脳腫瘍に冒されたマー ク・グリーン医師(アントニー・エドワーズ)がハワイで息を引き取る際のBGMに使われて反響を呼んだ。

                      元歌は、エドガー・イップ・ハーバーグ作詞、ハロルド・ハーレン作曲で、『オズの魔法使』の主演女優ジュディ・ガーランドが歌って大ヒットし、アカデミー主 題歌賞に輝いた名曲。このとき、ジュディ・ガーランドはわずか14歳で、スタジオ幹部から「14歳の少女が歌うには大人びている」とクレームが付き、この 歌唱シーンはカットされかかった。だが、プロデューサーのアーサー・フリードが猛反対し、結局残されることになった。今では、エリック・クラプトン、キー ス・ジャレット、サラ・ヴォーン、ローズマリー・クルーニー、フランク・シナトラ、ジミ・ヘンドリックス、エラ・フィッツジェラルド、レオン・ラッセル、 イングヴェイ・マルムスティーン、レイ・チャールズ、ジェフ・ベック、美空ひばり、江利チエミ、松任谷由実などがカバーし、世界的なスタンダードナンバー となっている。01年に全米レコード協会等の主催で、投票により選定された「20世紀の名曲(Songs Of The Century)」で、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を押しのけ、第1位に選ばれている。

                      「虹のかなたのどこかに、素敵なおとぎの国がきっとあるわ/虹のかなたの青い空、そこに夢のような世界があるわ」(訳詞:サトウムツオ)と、『オズの魔法使』 の主人公の少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)が知らない世界への憧れを歌ったもので、『小説家を見つけたら』の黒人少年ジャマールの未来を予見しているようで、胸に迫るのだ。

                      | mou1234 | 21:37 | comments(0) | - |
                      5.『BIUTIFUL ビューティフル』(2010年)×ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」
                      0


                        2011年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『BIUTIFUL ビューティフル』(原題Biutiful)は、情感豊かで、深く心が揺さぶれられる映画だ。主人公ウスバルを演じたバビエル・バルデムの存在感が、『海を飛ぶ夢』(2004年)や『ノーカントリー』(2007年)を軽く凌駕して、不気味に底光りしているからだ。
                        ウスバルは、スペイン・バルセロナの薄汚れた裏社会で、犯罪同然の危ない仕事に手を染め、生き延びている犯罪のチンピラだ。時には死者と交信できる霊能力者として小銭稼ぎをする一方で、幼い頃生き別れた自分の父親の姿を探し求めている。また小さな子どもたちにとっては献身的な父親だが(表題は末娘が書いたスペルミス)、いまだに苦痛の種である躁鬱病の元妻とも縁を切れないでいる。それでも彼は「受難」が足りないのか、彼は末期ガンの宣告を受ける。

                        イニャリトゥ監督は、黒澤明監督の『生きる』(1952年)にオマージュを捧げつつ、主人公の「受難」が際立つように演出。生と死、肉体と精神、罪と罰といった二律背反する要素をくっきりと共鳴させている。 それゆえ、子どもたちの未来を模索し、ガンの痛みに耐えながら街を彷徨うウスバルの姿は殉教者キリストのように見える。しかし、死にゆく彼よりも、悲惨な生き方しかできない元妻も、セネガルや中国から来た仲間の不法労働者も、彼は霊能者なのに、誰ひとりとして救済できない。これがどうにもやるせないのだ。

                        主人公ウスバルの目を通じて、誰も目を背けたくなる悲しい現代社会の歪みが描かれる本作では、観る者も最後の最後にようやく自由に解き放たれる。まるで鎮魂歌のように流れるモーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調第2楽章アダージオ・アッサイ」が、十字架をズルズルと引きずる殉教者キリストのテーマ音楽のように、クライマックスで美しも悲しく響き胸に突き刺さるのだ。

                        そのラヴェル「ピアノ協奏曲」は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが最晩年の1931年に作曲した2曲のピアノ協奏曲のうちの一つ(もう1曲は「左手のためのピアノ協奏曲」である)。2曲は同時に作曲され、「ピアノ協奏曲」は「左手のためのピアノ協奏曲」の1年後に完成。ラヴェルの死の6年前で、最後から2番目の曲にあたる。

                        重厚な「左手のためのピアノ協奏曲」とは違って、対照的に陽気で華やかな 性格を持ち、ユーモアと優雅な叙情性にあふれている。ラヴェルの母の出身地であるスペイン・バスク地方の民謡、ラヴェルが1928年から行ったアメリカの 演奏旅行で「盗んできた」ジャズのイディオムなど、多彩な要素が用いられている。

                        中でも第2楽章アダージオ・アッサイは、叙情的なサラバンド風な10分弱の楽章である。冒頭のピアノ独奏は、全108小節の3分の1にあたる33小節あり、時間にして約2分間ほどと長大だ。監督のイニャリトゥは、このCDを聴いて、物語を着想したそうである。
                        実は僕が本当に好きな曲で、いわゆる名演奏といわれるレコード盤をしこたま持っている。ピアニストのとっては技量を試される曲で、サンソン・フランソワ、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、エレーヌ・グリモーなどのバージョンなどがあって、全部買い漁って聴き比べている。 やっぱり第2楽章が極め手だ。いつもピアノとフルートやオーボエなどの掛け合い(インタープレイ)になると、涙が出てしまうのだ。
                        僕は美人に目がないタイプで、男性演奏者も好きではあるが、エレーヌ・グリモーがヨーロッパ管弦楽団と演奏したバージョンが大好きだ。この第2楽章での彼女の恍惚とした表情には、天上の美が集約されていると思う。すばらしい出来だ。

                        | mou1234 | 21:22 | comments(0) | - |

                        PR

                        Calendar

                          12345
                        6789101112
                        13141516171819
                        20212223242526
                        2728293031  
                        << August 2017 >>

                        Profile

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Recommend

                        Search

                        Entry

                        Archives

                        Category

                        Feed

                        Others

                        無料ブログ作成サービス JUGEM

                        Mobile

                        qrcode